【 「懐かしい」という宝物 】

アンドレイ・タルコフスキーの映画『ノスタルジア』が

日本で上映されたのは1984年で

当時のぼくはその告知にけっこうのけぞったわけです。

「えぇ~っ。

懐かしいとか、そんなにあからさまに言っていいの?」と。

 

1970年代までの日本は、

今よりもっと「進歩が幸せにつながる」と信じていて

オリジナリティへの信仰も深かったんですね。

 

それが80年代に入ると

シミュレーショニズムとか、ポストモダンという用語で

「過去のものを引用する方が知的だ」みたいな空気はできるし、

批評の側も「記号論的に考えると」とか言って

勝手な解釈を平気で書くようになったり、と。

よく言えば「こだわりがほどけてきた」。

わるく言えば、襟の乱れた季節だったわけです。

 

そこへ持ってきて、くだんの「ノスタルジア」です。

「懐メロ(懐かしのメロディ)」なんてのは

精神の堕落としか思われていなかったところへ

知的文化の中心だったシネヴィヴァン六本木で

この映画が封切られて、よくわからずにオタオタ次第。

 

といった具合に、

「懐かしい」という感覚自体の歴史を

文字通り懐かしく振り返ってわけですが、

それは軽い照れ隠しでもあります。

 

新作カードゲーム『時の祭壇』のテーマは時間ですが、

あわせて多様性とか、受注生産といった

野心的な要素をたくさん持っています。

 

で、先ほど新しいデザインをまた一つ追加したのですが、

そのテーマが「ノスタルジア」なわけです。

写真を使ったデザインには、すでに「子供たち」がありますが

そこで使っている写真は次世代の子供たちのもの。

 

一方、「ノスタルジア」にはぼくの子供時代の

(というか、直裁にぼく自身が子供の時の)写真を使いました。

照れというのは、そのことです。

 

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もちろん、その写真を買って欲しいってわけじゃなくて、

『時の祭壇』はそんなカードも作れるゲームなんですよ

ということが言いたいわけです。

 

ぼくとしては、自分の葬式や法事の時に、

集まった人でこのカードゲームをして欲しい。

 

カードゲームというのは、日常的なものではなく

むしろ非日常の入り口あたりに置かれているものなので、

そういう時にこそ圧倒的な力を発揮するからです。

知らない人同士でも、すぐに打ち解けられる。

 

いろんなところに書きましたが、その自信は幼少の頃

いとことトランプで遊んでとても楽しかった記憶に

裏打ちされています。

 

たかがカードですが、されどカード。

記憶を重ねられるものこそ、それぞれの人にとって

かけがえのない宝物なのではないでしょうか?

 

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