「誇り」をテーマにしたゲーム

絵札は映す

 

これは特別な方法ではないはずですが、

ぼくはゲームを作る時に終わった瞬間の情景から考え始めます。

その時に、プレイした人がどんな気持ちになっているか、

どんな顔をしているか。

 

ぼくの作るゲームがユニークだとすれば、

それが「勝つ」ことだけにフォーカスしていないからだと思います。

 

たとえば『PAAR』は、一人だけでは終わることができず

必ずパートナーと一緒に上がるカードゲームです。

運命の人と結ばれるゲーム。

それは、上がった人同士がハイタッチする光景を思い浮かべながら

作りました。

 
 

今、頭の片隅で小さな芽を出しているのは

「誇り」を感じられるゲームです。

負けてもなお、「それで良かった」と思える仕組みが

作れないかな、と。

 

人工知能の発達はものすごい勢いで、

考える強さにおいて、人間はじきに太刀打ちできなくなります。

最も複雑なゲームと言われる囲碁の対局で、

人間と人工知能は現在ほぼ互角の状態ですが、

人工知能が人間を完全に凌駕するのは時間の問題です。

 

そして、人工知能を打つ手を人間は理解できないとの話。

なぜ、そこでそうするのか、解説できないそうです。

これは、とてもおもしろいことだと思います。

 

人間は負かされるのが嫌で、

相手の思う通りに手を進めない場合があります。

つまり、そこにはある種の「誇り」が作用していると

思うのです。

挑戦する意欲というか、

札束で頬をたたかれても屈しない胆力というか。

相手の思い通りにされたくないという意地。

 

それは時として(というか、往々にして)

不幸な結果をもたらすものですが、

その小さな炎のようなものにこそ

「人間性」があるような気がするのです。

 
 

そして、ますます人工知能が進む世界において

そうした「誇り」の感覚こそ

人間が人間らしく生きるよすがとなると思うのです。

 

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